防災・減災への指針 一人一話

2013年12月06日
震災で実感したお客様との絆
パチンコ夢屋 多賀城店店長
末廣 孝俊さん
パチンコ夢屋 多賀城店マネージャー
村山 淳さん

震災で実感したお客様との絆

(聞き手)
末廣様は、震災時は、北海道にいらっしゃったそうですね。

(末廣様)
はい。東日本大震災の時は連絡が数日取れず、会社に「多賀城店は大丈夫なのか」と尋ねても「いや、分からない」と言われ、会社も連絡が取れない状況でした。
津波の映像やニュースで7メートルの津波が来たと報道されていたため、最悪の事態を考えていました。結果的に3~4日で連絡が取れ、会社を通して、全員が無事だと確認する事が出来ました。

(聞き手)
多賀城店の店長として赴任するようにとの指示が出たのは、いつ頃のことですか。

(末廣様)
平成23年9月くらいに、いきなり「明後日行け」という感じだったと思います。家族には地震のことよりも原発の事で心配されました。実際には10月に多賀城に来ました。

(聞き手)
 多賀城に赴任してきた時の、お客様の様子で印象に残っている事はありますか。

(末廣様)
被災してすぐの頃は、津波で店のガラスがめちゃくちゃだったらしいのです。そこへお客様が「夢屋の皆さん、無事ですか」などの張り紙をしてくれたり、津波で荒れた店の中を片付けている時には、景品として置いていたお菓子を皆で分け合ったりしながら、色々助け合ったそうです。そのようなことを経験したからこそ、お客様と店員という関係を越えたや結束の強さを感じました。

(聞き手)
北海道のお店では、何か震災の備えや対策はしていましたか。

(末廣様)
非常用持ち出し袋や水を用意するなどの一般的な事をしていました。震災前から備えなどはしていましたが、ただ置いておけばいいという感じでした。しかし、震災後はより現実的になり、備えは色々と変わりました。

(聞き手)
末廣様は他の災害の経験はありますか。

(末廣様)
阪神・淡路大震災の時にボランティアに行った時くらいです。その時も北海道にいたのですが、知人が炊き出しに行くというので、ついて行きました。
ガレキに生き埋めになって苦しんだという話を聞かないだけ、今回は良かったかなと思いましたが、後から津波で流された方の話などを聞くと、どちらも悲惨で、当時と今回とでは、状況が全く違うという印象でした。

震災の反省から備蓄を改善

(聞き手)
 震災直後の出来事で覚えている事はありますか。

(村山様)
一番印象に残っているのは、さきほど末廣さんもお話になりましたが、ちょうど店の出入り口に割れたガラスがあって、そこにお客様なのか町内の方か定かではありませんが、「従業員の皆さん、大丈夫ですか」と、その辺に流れついた紙に書いて貼ってあった事です。
それを見た時に「そのように心配していただいている」ということをあらためて感じました。
震災の次の日だったので、ご自分が大変な状況の中でも、他の人の事を思ってくれたというのがうれしく、とても印象に残る出来事でした。

(聞き手)
村山様は、震災時はどこにいらっしゃいましたか。

(村山様)
私は遅番出勤で、大代にある自宅で仕事に行く準備をしていました。大代も津波被害があったので、自宅は浸水しました。地震があってから津波が来るまで1時間くらいだったと思うのですが、まさか津波が来るとは思わなかったです。あのくらいの地震だったので店がどうなっているのか心配になり、店に向かったのです。店に向かう前に、幼稚園に息子を迎えに行き、それから店に向かいました。店に着いた時には戸締りも終わってお客様も避難していました。従業員も避難する準備をしていたところだったので、一緒に車に乗せ、山王小学校に行きました。

(聞き手)
避難の過程や避難所で住民の方々との関わりはありましたか。

(村山様)
避難場所に行ってからは、店に良く来られるお客様などが数多くいらっしゃったので、そこで色々と話はしていたのですが、その一方で、もしかしたらお客様が戻って来るかもしれないという事で、店長が店で待機していました。誰もその時は津波が来るなんて思ってもいなかったので、店長だけを駐車場に残して全員避難する形になりました。
従業員を山王小学校に降ろしてから、私は店長が心配で一度店に戻る事にしました。
ちょうど、JRの線路の所まで来た時に、人が水に追われて走って来ましたが、その時は水道管か何かが破裂して人が逃げているのだろうと思い、津波だとは思いませんでした。
その後、自分もUターンして山王小学校に戻った時に、初めて津波が来ていたと知りました。
結局、店長とは一日中連絡が取れなかったため、もう店長はだめなのかもしれないと思っていましたが、次の日、山王小学校に戻る途中で、歩いている店長を偶然目撃し、無事を確認出来ました。店長は、津波が来たので車を捨てて、向かいにある立体駐車場に避難していたそうです。

(聞き手)
その後、何日間ほど避難所生活をしていましたか。

(村山様)
山王小学校に1カ月くらい避難していて、後は店長のアパートがその近くにあったので、家に帰れないスタッフなどを交えて、15人くらいで店長の家に一緒に住んでいました。

(聞き手)
村山様のご家族の方も一緒に、山王小学校に避難していたのですか。

(村山様)
いえ、内陸部の大郷町という所に私の実家があるので、その日の夜のうちに大郷に家族を避難させました。
従業員全員の安否が確認取れたのが2週間くらい経ってからでした。皆、文化センターなど色々な所に避難していたのですが、全員無事でした。

(聞き手)
 東日本大震災以前に、どのような備えをしていたのでしょうか。

(村山様)
拡声器はあったのですが、災害の時のための拡声器ではなくて、停電や何かあった時のための物だったので、正直な話、備えなどはしていませんでした。
しかし、その後は非常用持ち出し袋や携帯の充電器、懐中電灯などを各自で持つようにしました。
後は、緊急連絡簿や避難場所などに関しての取り組みもしていました。これはスタッフだけではなく、本社も一緒になって行いました。
どこで何が起きるかわからないので、全社で取り組みました。

(聞き手)
震災当時の従業員の数はどれくらいでしたか。

(村山様)
震災当時の従業員の数はスタッフで15、16名、清掃の方で10名なので、全体で30名くらいです。お店の再開は平成23年8月10日になります。

(聞き手)
他の災害は何か経験されていますか。また、何か災害の教訓を伝承されてきたという事はありますか。

(村山様)
経験はないです。教訓では、強いて言えば「慌てるな」というくらいです。
実は私、店に向かう時に産業道路を通って来ていたので、あと10分遅れていたら津波被害に遭っていたかもしれません。ですが、当時は地震の事だけで、津波の事は頭にありませんでした。

(聞き手)
国道45号は混雑していたのでしょうか。

(村山様)
混雑していました。あのような事態の時は、車で逃げてはだめだと実感しました。

(聞き手)
地震が起きた直後のまちの様子や、お店の様子はどうでしたか。

(村山様)
店の天井が落ちていたため、営業できない状態で、とりあえず避難して今後どうするかを考えようという感じだったと思います。
避難する際には、それほど混乱はしませんでしたが、外に出るのは不安だとおっしゃるお客様もいたので、全員を強制避難させる事は出来ませんでした。
20人程いたお客様の中の10名弱は一人暮らしや単身赴任の方だったため、そういう人たちは一緒に小学校の方に避難し、家族と一緒に住んでいる方たちは自宅に向かったという形でした。

全社的に「通報連絡訓練」を実施

(聞き手)
震災前は、避難訓練などをしていましたか。

(村山様)
火災や地震などの災害があった場合や、お客様が倒れた場合を想定しての訓練はそれぞれの店独自で月2回くらいやっています。
震災後は取り組む姿勢がより真剣になりました。また、新たに会社全体で年2回の通報連絡訓練というのをやっています。それは災害があった場合を想定して、全員が連絡をするという訓練なのですが、それを現在も続けています。

(聞き手)
 当時の対応でうまくいった事、うまくいかなかった事はありましたか。

(村山様)
連絡が取れない事など、うまくいかなかったことばかりです。お店自体も建て直しなどがあり、半年間は休んでいました。その間は自宅の片付けなどをしながら、多賀城市役所を通じてのボランティア活動でガレキの撤去など、ボランティアの依頼があったところでお手伝いしていました。

(聞き手)
市へ支援車両を贈呈していただきましたが、それはいつ頃ですか。

(村山様)
再オープン前なので震災後3カ月くらい経ったころから、合計5台を、店長と本社のエリアマネージャーが贈呈しました。

(聞き手)
本社から応援に来た人もいましたか。

(村山様)
市のボランティア活動や復興のボランティアとして、全社一丸となって取り組んだり、フリーマーケットを多賀城駅前でするなどの協力をさせていただきました。
私は地元出身なので様々な話を聞くのですが、どうしても店を再開出来ないので解雇されるという話をよく聞きました。我が社は全員解雇することなく、復興支援活動にも積極的に取り組んでくれていたので、会社に対して感謝しているところです。

(聞き手)
お店が再開してからでもいいのですが、当時の対応でこれはうまくいったという事はありますか。

(村山様)
再開までの期間、一緒にボランティア活動をやっていたお客様が、再開後、店に来てくれたことがとても嬉しかったです。
反対に大変だった事は、安否確認が出来なかったことや、ガソリンがなくてなかなか動けなかったことです。

(聞き手)
防災マニュアルがあったと思いますが、今回活かされましたか。

(村山様)
一番は、お客様を第一に避難させ、誰一人もけが人を出す事なく対応出来たというのが活かされた点なのではないかと思います。

(聞き手)
今後の防災対策における課題は何かありますか。

(村山様)
連絡がつかない状況なので、そうなった時にどこに集まってどういう連絡方法を取れば良いのかを考える必要があり、課題になると思います。実際に、とりあえず市役所に集まるという形にマニュアルが変わりましたが、携帯で連絡を取り合うという前提があるので、携帯が繋がらない状況を想定すると、改善する余地があると思います。

最悪を想定すること、その経験を伝えること

(聞き手)
 震災を経験して、最も大切なことは何だと思いましたか。

(村山様)
何か起こった時に最悪の状況を考えて、事前に準備しておくという事が大切だと思います。
また、今回の震災を経験してどれだけ大変だったかというのをしっかり伝えていかないと実感が湧かないと思います。
そのため、経験した人がどのように伝えていくかが重要になるでしょう。

(聞き手)
将来のマネージャーさんに何か伝承していきたい事はありますか。

(村山様)
一番はお客様の安全ですけれど、本当に震災があったら、まずは、自分の身を守ることです。自分に何かあってからでは遅いという事だと思います。

(聞き手)
 最後に、メッセージをお願いします。

(村山様)
最近よく地震が起きますが、「ああ、あの時に比べたら小さい揺れだ」という風になりがちです。   
しかし、何が起こるかわからないので、常に危機感を持つ必要があると思います。
そういう私も最近は、ちょっとした地震があっても、寝ていたら起きなくなりましたが、油断をしない事が大切になってくると思います。